top of page

全国のジャンプ競技場を調べてみました。

  • 執筆者の写真: 祐介 湊
    祐介 湊
  • 2023年12月3日
  • 読了時間: 10分

白馬ジャンプ競技場/長野県白馬村役場 白馬ジャンプ競技場は昭和62年に基本設計を行って以来、6年の歳月をかけて平成4年11月に完成しました。その翌年に待望のオールシーズン化も完成し、1998年長野冬季オリンピックでは、感動のステージとして、日本はもちろん世界的にも脚光を浴び広く知られました。


ノーマルヒル・ラージヒルの間にあるリフトに乗車するとスタートタワーの入り口に到着し、スタートタワー3階から地上約140メートルの高さにあるラージヒルのスタート地点や、タワー2階からノーマルヒルのスタート地点まで行くことができるため、選手がスタートする時に見える景色やその高さを体感できます。

また、平成26年にはスタートタワーの中2階(2階から階段を上がる)にオリンピックギャラリーを設け、長野冬季オリンピック・パラリンピックに関する資料を展示しています。 ながの銀嶺国体スキー競技会(平成29年2月)を円滑に開催するため、また、国際スキー連盟(FIS)の大会開催基準を満たすため、平成27・28年度に施設の改修工事をスポーツ振興くじ(toto)助成金を活用して行いました。 【スポーツ振興くじ(toto)助成事業】

平成27年度18,713,000円アウトラン周辺改修 等平成28年度168,031,000円クーリングシステム設置、スコアボード改修、スタートタワー改修、リフト改修 等


山形県山形市 アリオンテック蔵王シャンツェ

蔵王ジャンプ台は、昭和53年の建設後、日本で初めてのインタースキーを皮切りに、3回の冬季国体、国際蔵王ジャンプ大会や女子ワールドカップ等、数多くの大会を開催してきました。これまでも数回の改修を重ねてきましたが、当初の建設から30数年を経過し劣化が著しく、ワールドカップ開催時の整備作業等においては多大な労力と危険を伴っている状況にあり、また、平成26年2月に開催された「やまがた樹氷国体」においても、安定した競技運営を行う必要があったことから、平成25年度にFIS(国際スキー連盟)の最新ルールに合わせた大規模改修を行い、最新のクーリングシステムを備えた助走路に生まれ変わりました。平成27年度には、ジャンプ台の通年利用による「競技施設としての有効活用」と、「観光資源としての活用」を目指し、平成25年度改修時未着手の着地斜面(ランディングバーン)改修とサマーヒル化工事を実施しました。また、悪天候による大会不成立のリスクを軽減するため、照明設備を設置しました。工事完了によって、FISの最新基準に則した国内唯一のサマージャンプ台となり、平成28年度の雪解け後から現在まで、サマージャンプ台としても、多くのご利用をいただいています。

平成27年12月には、施設の魅力向上を図り、地域の活性化に寄与していくことを目的として、ネーミングライツ(施設命名権)を導入しています。令和3年1月1日からは「アリオンテック株式会社」をパートナーに迎え入れ(契約期間:令和3年1月1日~令和7年12月31日)、施設の愛称を「アリオンテック蔵王シャンツェ」と命名しました。


新潟県妙高高原赤倉シャンツェ

赤倉シャンツェは、平成14年に開催された妙高国体のジャンプ競技会場として建設され、平成13年9月に完成記念と、こけら落としを兼ねて全日本スキー連盟のナショナルチームを招聘し「第1回新潟県妙高高原サマージャンプ大会」を開催した。

以降、この大会は全日本A級公認大会として現在も開催されている。

このジャンプ台はノーマルヒルとミディアムヒルが並立し、オールシーズンシャンツェとして小学生からナショナルチームメンバーまで幅広く練習や大会に利用されている。





長野県野沢温泉村 野沢温泉シャンツェ

全日本スキー連盟公認スキートレーニングセンターとして、昭和45年開設。

アルペン・ジャンプ・クロスカントリーをレベルに応じてトレーニングできます。 そして、トレーニング後の疲れを癒すのが村内に点在する13の外湯と「野沢温泉スパリーナ」。 競技者に必要な環境が整い、アスリートの体力づくりに最適な環境です。 また、1998年2月の長野オリンピックのバイアスロン会場をクロスカントリーコースとしてご利用いただけます。


秋田県鹿角市 花輪スキー場花輪シャンツェ

アルペン、クロスカントリー、ジャンプの3競技を1つのエリアで開催でき、全国規模の大会も開かれる本格的なコースが特徴。敷地内のトレーニングセンター「アルパス」ではゲレンデを望む展望温泉で疲れを癒すことができる。




大倉山ジャンプ競技場/株式会社札幌振興公社

■1972(昭和47)年に開催された札幌オリンピック。大倉山ジャンプ競技場は、そのときに実施された競技の一つ、スキージャンプ90m級(現ラージヒル)の舞台となった場所です。スキージャンプ90m級が行われたのは大会6日目。宮の森ジャンプ競技場で先に行われた70m級で日本選手が表彰台を独占したことで、日本中の期待が笠谷幸生選手ら“日の丸飛行隊”に寄せられていました。

しかし、結果は笠谷選手が日本人最高位となる7位。優勝したのはポーランドのヴォイチェフ・フォルトゥナ選手で、2位のヴァルター・シュタイナー選手(スイス)、3位のライナー・シュミット選手(東ドイツ)と共に表彰台に昇りました。

実は大倉山ジャンプ競技場は、もともとがオリンピックを誘致するのには本格シャンツェが必要という想いから誕生した施設でした。

そのため、建設地選びや設計には、シャンツェ構築の世界的権威であり、監督としてオリンピックへの出場経験も持つオラフ・ヘルセット中尉を抜擢。札幌市でのオリンピックが決定したのは、それから約40年も後のことでした。

1972年の札幌オリンピックの舞台となり、その歴史を今も感じさせてくれる大倉山ジャンプ競技場。そこには同時に、日本での冬季オリンピックの開催に向けて奮闘した、多くの人たちの思いも今に伝えてくれています。


■昭和7年に、60m級ジャンプ台「大倉シャンツェ」として開場しました。幾度かの改修を経て、昭和45年11月に、札幌冬季オリンピックに向けて大改修を行い、国に移管されて、国立競技場「大倉山ジャンプ競技場」と名称が変わりました。平成7年には再び札幌市に移管されました。

毎年、FIS(国際スキー連盟)ワールドカップをはじめとする国際大会が数多く開催され、世界的にも有名なラージヒルジャンプ競技場です。平成19年には、アジアで初めて開催されたFISノルディックスキー選手権大会の、ラージヒルジャンプ競技の会場になりました。また、ナイタージャンプ大会や、サマージャンプ大会なども開催されています。

ジャンプ台の頂上部には、ラウンジと展望台を設置しており、札幌市内の眺望を楽しむことができます。また、平成28年には、ウィンタースポーツの疑似体験ができる「ウィンタースポーツミュージアム」を「オリンピックミュージアム」にリニューアルし、札幌の観光スポット、ウィンタースポーツの情報発信基地として多くの観光客が訪れています。

に設備:ジャンプ台ラージヒル(K点123m、ヒルサイズ137m) その他施設:札幌オリンピックミュージアム ※スキージャンプ大会の日程については、札幌スキー連盟ご確認ください。


北海道札幌市 宮の森ジャンプ競技場

札幌冬季オリンピックにおいて70m級の競技場として利用され、笠谷幸生選手、金野昭次選手、青地清二選手が「金・銀・銅」メダルを独占した栄光の舞台として知られるジャンプ台です。大倉山ジャンプ台からは車で5分、徒歩30分程度の距離にあります。

大倉山ジャンプ競技場のような観光施設がないため、どちらかというと「競技専用」といった色合いが強いジャンプ台です。


北海道札幌市 荒井山シャンチェ

札幌市では現存する最古のジャンプ台で、昭和4年に台が建設されました。その後、幾度かの改修の都度、名称が変わりました。平成13年から平成15年の改修により、ミディアムヒル、スモールヒルの2つのジャンプ台としてリニューアルしました。主に、小中学生に利用されています。



名寄ピヤシリシャンツェ

名寄ピヤシリシャンツェは、道内では唯一ミディアムヒルとノーマルヒルが併設したサマー対応施設で、スノーメイキング設備の完備と気象条件により、国内で最も早く雪上トレーニングができる施設です。


朝日三望台シャンツェ/士別市役所

■北海道、士別市の市街地から約20km、絶景で知られる北見山地の最高峰「天塩岳」を有する朝日町のジャンプ台です。併設されたオールシーズン対応のジャンプ台は各K-60、K-40。毎年A級公認のサマージャンプ大会が開かれるほか、ジュニア大会も数多く実施され、将来のメダリストを目指す子供たちの登竜門になっています。 ■ジャンプ台概要

ミディアムヒル HS-68 K-60 スモールヒル HS-45 K-40 全長222m・標高差67m (スモールヒル K-40とスロープカー併設型) ジャンプ台使用時期: 夏季5~10月、冬季12~3月 道北日報、検証公共施設

■厳しい厳しいと叫ばれ、交付税などのマイナスが予想される中で、地方自治体ではなお公共施設の建設が進んでいる。一方では昭和30年代から50年代の高度成長期になって建設された公共施設は老朽化と狭隘化が進み、補修に過重がかかり、さらにはIT化への対応にも追われ、自治体がどこからも補助の望めない単独費の支出増が強いられつつある。それでも士別市の火葬場のように老朽化が著しくなれば、苦しい財政事情の中でも建設は必要となる。行政サービスの向上に公共施設の存在は欠かせないのである。この公共施設を検証して、将来の公共施設像の姿を探っていきたい。 ■古くは、札幌冬季オリンピック複合代表の中野秀樹、最近では原田雅彦、岡部孝信、葛西紀明、斉藤浩哉、荻原健司など、そうそうたるメンバーがこのジャンプ台を飛んでいる。

三望台シャンツェの歴史は古く、1960年に当時のスキー協会会長だった故近藤岩次郎氏が、町内におけるノルディックスキー普及のためにと、私財を投じて建設したのが始まり。

■その後は、79年にサマージャンプ台に改修したのをはじめ、幾度の改修を重ねて現在の三望台シャンツェとなった。

三望台シャンツェは、K点60メートルのミディアムヒルと、K点40メートルのスモールヒルで構成されている。

■昭和40年代から60年代にかけては、町内のジャンプ少年団に所属する子供たちも多く、放課後になれば練習に取り組む子供たちの姿で賑わっていた。

■ところが現在、少年団に所属するメンバーは1人だけ。

■もともとは地元の選手育成を目的の1つとして設置された三望台シャンツェも、いまや道内外の社会人、大学生、高校生らの合宿の舞台として活用されている現状にある。

■国際規格の変更や、新たな施設・設備が次々と登場してくるなかにあって、「ジャンプ台を維持していくには相当の費用がかかる」と言われる。

■三望台シャンツェにしても、60年の設置から現在までに投じてきた改修費等は、総額で10億7000万円ほどになる。

■サマージャンプ台への改修後は、一気に合宿が増加し、その数は現在、夏合宿で2000人ほど、冬合宿で4000人程度が訪れている。

■最近は、全国各地に夏・冬飛べるジャンプ台が整備されてきているが、同町の場合、常連組を含めて年間の合宿者の数は延べ6000人前後で定着している。

■各地に新たな施設ができてきていると言うことは、合宿誘致でも競争の時代となってきている。

■それだけに、合宿者を確保するためには「施設・設備面で一定のレベルは維持しておかなければ」が実情のよう。

■2000人に満たない小さな町に、人口の3倍ほどの合宿者が訪れるのは、町にとっても貴重な交流人口拡大の機会である。

■「各地にジャンプ台はできてきているが、うちに来てくれる合宿者は、周囲が木々に囲まれ、落ち着いて練習できる環境が素晴らしい、と言ってくれています」と町教育委員会の担当者は言う。

■国内で最も早い全日本サマージャンプ大会を開催したり、合宿者が気兼ねなく練習できる環境づくりに配慮するなど、町としても合宿誘致に力を入れてきている。

■町民の利用機会はかなり少ないものの、合宿者を確保するためには、三望台シャンツェが同町にとって必要不可欠な施設となっているようだ。


以上のような、公共施設の検証記事を地元紙である道北日報紙が連載しており、この地域の公共施設の在り方を示している。重要なことであると感じている。

三望台シャンチェの記事以外にも、①士別市市役所庁舎、②士別市総合体育館、③市立士別図書館 、④士別市公会堂 、⑤学田スキー場 、⑥士別市ごみ処理場 、⑦つくも青少年の家 、⑧青少年会館 、⑨グリーンスポーツランニングコース 、⑩つくも水郷公園 などの行政の施設の2003年当時の情報が見える化されている。


そして、2023年現在の、2025年に朝日三望台シャンチェの改修計画が上がっている。 この内容は、士別市議会令和4年第3回定例会でも質疑しているが、こうした利用者ニーズに基づいた改修計画をより一層よいものにしていくためにも、どのような計画が立ち上がるかを注視している。



コメント


AIMS SkiTeam

©2025 AIMS SkiTeam。Wix.com で作成されました。

bottom of page